後悔のない人生を送ってほしい 国枝慎吾さん
プロ車いすテニス選手として、前人未到の「生涯ゴールデンスラム」を達成し、世界ランキング1位で今年1月に引退した国枝慎吾さん。常に挑戦し続け、新たな道を開拓してきた国枝さんに、どんな小学校生活だったか、強さの秘密などを聞きました。
楽しかった小学生時代
◆どんな小学生時代でしたか?
国枝さん スポーツが好きで、2年生から野球を始めました。3年生の春休みに腰が痛くなって、精密検査を受けると脊髄に腫瘍(がん)が見つかりました。摘出手術をした時に両足が動かなくなったのは記憶に残っています。
半年ほど治療で入院してから、元の小学校に戻りました。担任の先生も同じで、同級生の子達も階段の上り下りを手伝ってくれました。漫画の影響でバスケットボールにはまっていたので、放課後は家の庭で友達とスリーオンスリーをやり、体育のサッカーではヘディングを合わせたり。それまでできたことができないもどかしさはあったけれど、楽しい思い出のほうが残っています。今でも当時の友達とは仲がいいです。

東京パラリンピックの決勝でショットを決める国枝さん
迷ったら後悔しない選択を
◆6年生の時に車いすテニスを始められたそうですね。
国枝さん 母の趣味がテニスで、地元のテニスセンターに連れられて初めて見ました。予想外に激しくて、「これはやってみたいな」と。最初から車いすの操作は結構上手で、大人より速く打てたので、才能はちょっとあったのかなと思います。
◆国枝さんの代名詞ともいえる言葉は「オレは最強だ!」ですね。
国枝さん 2006年にメンタルトレーナーの方に教えてもらいました。自分の弱さを振り払うために必要な言葉で、毎日声に出して、試合中もラケットの内側に貼っていました。メンタルトレーニングというと「心を強くする」と思われがちですが、僕にとってはフォアハンドやバックハンドの「スキル(技術)」と同じで、メンタル面の「スキル」という感じです。必要な場面で使い、自分自身の心をセットしていました。
◆これからやりたいことを教えてください。
国枝さん 車いすバスケなどテニス以外のことに挑戦したいです。留学を視野に英語も勉強しています。
◆小学生のみなさんにメッセージをお願いします。
国枝さん ぼく自身、がんだと初めて知ったのは発症から5年後の14歳の時でした。その時思ったのが「車いすになった程度で良かったな」。命があることに感謝しましたし、「これからは後悔なく生きてやろう」という気持ちが固まりました。みなさんには後悔のない人生を送ってほしい。これから人生の選択がたくさんあると思いますが、僕はいつも後悔しない方を選んできました。それが何かみなさんの参考になればと思います。
東京パラリンピックで
優勝後に涙する国枝さん国枝慎吾(くにえだ・しんご)さん
1984年2月21日、千葉県出身。麗澤大学国際経済学部卒。9歳で脊髄腫瘍のため車いす生活となり、11歳で車いすテニスと出会う。2006年、世界ランキング1位。09年、車いすテニス選手として日本初のプロ転向。21年、東京パラリンピックのシングルスで2大会ぶり3度目の金メダルを獲得。22年、四大大会とパラリンピックを制覇する「生涯ゴールデンスラム」を達成し、今年3月、パラスポーツ界初の国民栄誉賞を受賞した。