東日本大震災15年 福島 横山和佳奈さん 「奇跡の避難」体験生かす(その1)

避難した時に自分が着ていた小学校のジャージーを案内する横山和佳奈さん=福島県双葉町の「東日本大震災・原子力災害伝承館」で、平川義之撮影

児童じどう全員ぜんいん、津波つなみ逃のがれ

小学生しょうがくせい82人にんは海辺うみべの校舎こうしゃから1・5キロメートル先さきの山やまへ逃にげ、迫せまり来くる津波つなみから全員ぜんいんが生いき残のこれました。沿岸部えんがんぶに被害ひがいが集中しゅうちゅうした東日本大震災ひがしにほんだいしんさいで、この小学校しょうがっこうのケースは「奇跡きせきの避難ひなん」と言いわれました。当時とうじ6年ねん生せいだった横山よこやま和佳奈わかなさん(27)は被災ひさい体験たいけんを生いかす仕事しごとに就つき、27歳さいになりました。「あの時とき、避難ひなんが10分ぷんおくれていたら、私わたしはこの世よにいない」。そう思おもうからこそ、伝つたえたいことがあります。

 

 

福島県浪江町ふくしまけんなみえまちの海沿うみぞいに広ひろがる請戸うけど地区ちくは、漁業ぎょぎょうが盛さかんな漁師町りょうしまちでした。町立ちょうりつ請戸うけど小学校しょうがっこうは、海岸かいがんまで約やく300メートルの場所ばしょにありました。

2011年ねん3月がつ11日にちの午後ごご。1年ねん生せい11人にんは下校げこうを終おえ、学校がっこうには2~6年ねん生せいの児童じどう82人にんと教職員きょうしょくいん13人にんがいました。午後ごご2時じ46分ぷん、大地だいちが大おおきく揺ゆれました。6年ねん生せいの教室きょうしつにいた横山よこやまさんは立たっていられず、机つくえの下したへもぐりこみました。

 

揺ゆれが収おさまると児童じどうたちは校庭こうていに集あつまり、午後ごご3時じ前まえには避難ひなんを始はじめました。上級生じょうきゅうせいが下級生かきゅうせいの手てを引ひき、交差点こうさてんでは渋滞じゅうたいの車列しゃれつをすり抜ぬけ、1・5キロメートルほど離はなれた山やまに向むかいました。

児童じどう・教職員きょうしょくいん95人にん全員ぜんいんが山やまに入はいったのは午後ごご3時半じはんごろ。そのわずか10分ぷん後ご、津波つなみが山やまのふもとまで達たっしました。「助たすかったのは先生せんせいたちの判断はんだんのおかげ。あと10分ぷんおそかったらこの世よにいない」と横山よこやまさんは語かたります。

児童じどうたちは海うみとは反対はんたい側がわへ山やまを下くだり、通とおりかかった大型おおがたトラックの荷台にだいに乗のせてもらいました。役場やくばに着つき、保護者ほごしゃに引ひき渡わたされました。横山よこやまさんは翌よく12日にちに両親りょうしんと弟おとうとと再会さいかいしましたが、おじいさんとおばあさんの行方ゆくえが分わかりませんでした。

 

12日にちには東京電力とうきょうでんりょく福島ふくしま第だい1原発げんぱつが爆発ばくはつしました。避難指示ひなんしじで自宅じたくにもどれないまま、お母かあさんの実家じっかがある福島県郡山市ふくしまけんこおりやましで暮くらすことになりました。【田倉たくら直彦なおひこ】=その2につづく

 

毎日小学生新聞より転載